ニート
- FreeMe labs.
- 16 分前
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高校時代の友だちの結婚パーティーで、当時部活で後輩だった彼女と会うのは、30年ぶりくらいだろうか。太陽で輝いていた紺のブレザー姿しか記憶に無いからすっかり大人になっていて見違えてしまった。と言ってももうお互い中年を終わろうとしているのだが。いつも部活帰りにうどん屋さんに寄ってカップのアイスクリームにコーラを入れて食べていた。もちろんうどんも食べるけど、甘い炭酸系の飲み物が大好きでみんなガツガツ食って飲んでくだらない話で大笑いしていた。そんな熱い青春時代を思い出しながら、「今日は行くでしょっ?」そう笑っていた。2次会、3次会と6,7人の旧友達と飲んで歌って若返ったような気がした。加えて田舎のスナックは心温かくて、必ずママの手作りのおつまみが出てくる。ちょっと味が濃いめで塩っぱいが、お腹いっぱいなのになぜか箸が進む。ピーナッツも箸でつまむ始末だ。味覚麻痺なのか、知覚麻痺なのか。みんな適当に話し相手を見つけて何やら難しい政治経済の話をしたり、青春時代の思い出の信憑性を疑ったりして楽しそうだった。甘い炭酸系が好きな自分としてはダークラムの炭酸割りが当時のうどん屋のコーラを思わせて心地よい喉越しだ。ちなみにラム酒は近所の高校の先輩の酒屋さんで仕入れた。太って髪の毛がほとんど無くなっていた先輩に自分が後輩と言ってもそんなことどうでもいいという顔つきだった。失礼しました、少し寂しい。でも隣に座った後輩の彼女はそのラム酒がお気に入りの様で進むにつれて、遠慮なく身の上話をし始めた。「私、みんなのように自由になりたいんだよね。」え?
彼女は結婚して離婚して子供がいて、今は仙台駅の近くのパン屋で昼前から夕方まで働いて、他界した母親が残してくれたマンションに息子さんと猫2匹と暮らしているのだそうだ。夕方帰って猫にインスリン注射をしているから夜は家を空けられない。糖尿病なんだ。本当に猫なのか息子さんなのかその辺りは敢えて聞かなかった。「そう、大変だね。」でも自由な時間はあるんじゃないかな?そう思っていると、「実は息子がニートなんだよね。」とため息をついた。高校も辞めて、アルバイトなどの仕事を始めても1週間ともたない。家にずーっといるようになり、今では外出もしない。「そーか、困ったな。」自己中心的になり、母親の行動すら制限してくる。機嫌が悪いときは、暴力もあるという。今日みたいに分っている日は外出許可が出るが、普段仕事以外はほとんど外出もできないとか。「みんなと同じ様に、好きな時に好きな人達と外食したり、旅行に行ったりしたい。」そりゃそうだろーな。
作家で精神科医の岡田尊司氏は「生きるための哲学」という著書の中で、「生きる苦しさを感じている人には、ありのままに受けとめてくれる「安全基地」が必要である。安全基地になり得る人間関係は、どちらかによる「所有」という関係ではなく、「共感」の関係である。」と説く。よく”共感”という言葉を耳にするが、この場合対義語は”所有”とは知らなかった。彼女の場合、息子さんが生きる苦しみを感じていて、唯一の安全基地を母親に求め、そして母親を所有しようとしている様にその時は聞こえた。
ラム酒を飲み小さなランプの光を見ながら、「あの子は、仕事はすぐ辞めるけど、雇ってくれた人からはいつも褒められて、違う仕事をしてくれないかと言われるぐらいよくできる。」そして「いつかは真面目にやってくれる素質がある。」と今日初めてたばこを吸い始めた。「結局、マザコンなんだよね。」と青い煙を吐いた。暴力を受け束縛され邪魔と思っている息子なのに、母親の愛はこんなにも強いのか?と思いながら、誤解かもしれないが、もしかすると相手を所有しようとしているのは、母親かもしれないと思った。
あなたも、愛する人は自分のものにしたいですか? 愛するとは所有することですか? 哲学者ジャン・ナベールは、「世界には自然的必然性として、存在を摩滅させる働きを持つ現象がある。」と言う。つまり、親の「所有しようとする愛」は自然的必然であるから、成人となった子供の場合は特に、その自由な存在を摩滅させ、不純にズレた行動に導く(子供が思う自由な方向ではなく親も思わないズレた方向に押しやる)と言える。このズレを正当な道に返していくために子供ができることは、自分自身で何かについて働くか、何か作品をつくるなど、アウトプットする以外にない。もちろんズレをなくすために親ができることは、できる限り早く子供を解放することだ。
そうすれば、あの太陽以上に輝いた紺のブレザーの笑顔を取り戻せるのではないだろうか。
愛するとは手放すことなのだろう。
2025年8月27日
田村滋朗