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疎外する

  • FreeMe labs.
  • 8月10日
  • 読了時間: 4分

更新日:8月15日

他有化を超えて
他有化を超えて

 哲学者ヘーゲルやサルトルによると、疎外とは、外的条件で自分が自分の主人ではなくなることを言う。例えば、人間が作った物(機械・商品・貨幣・制度など)が人間自身から分離し、逆に人間を支配するような疎遠な力として現れること。「金が命」、「誹謗中傷」、「AI依存」など、人間があるべき自己の本質を失う状態をいう。もっと怖いのは、社会生活の中で、無意識に他人によって自分が疎外してしまうことだ。そんな服従行動や同調行動に、あなたは気づいていますか?


 ある日、48歳のサラリーマンが会社を去る日がやってきた。彼はその会社も3社目で転職することにはもう慣れている。数個の箱に職場で使った参考書や筆記用具などを詰め込んでいた。そう10年近くこの会社にお世話になった。彼のブースはマネージャー職としても2人分以上の机のスペースと広く、大きな窓からは半分以上の青い透き通った空と新宿や渋谷の高層ビルなどを一望できる。外資系の中でも優遇されていると思われる。昨日お世話になった人だけに、退職メールを送ったせいか、部下や同僚が挨拶に来てくれる。うれしいような後ろめたいような気分だ。開発エンジニア上がりの彼は、その技術力と社交性を買われ、顧客サポートをするセールスエンジニア部隊を任されていた。前会社も合わせると15年間そんなことをやっている。「これからどうするんですか?」マーケティングの女性からかれた。「んー。なんとかなるといいね」。


 彼はなぜ辞めるのか? 仕事は嫌いでは無かった。自分の組織もこれといった問題を抱えていた訳でもない。この2年間いろいろ考えた末なのだが、ズバリ、逃げたかった。いったい何から逃げるのか? 2年前に来た社長のパワハラからだ。最初は、プロテインを大量にのみ、よくしゃべり、元気がある変わった人だなぁと思うくらいだったが、その内いろいろな会議で担当営業や担当技術者の”駄目だし”を積極的に始めた。あのプロテインはパワハラのエネルギーとなっていたようだ。たくさんの人たちが業績も悪くないのに、社長から否定され、会社を去って行った。もちろん同じ数だけの新入社員が社長を尊敬するが如く入ってくる。まさに真似をしてプロテインを飲みまくり身体を大きくして、似合いもしない同じ髭を蓄え、媚びること以外できそうもない無能な戦士も数人いて、すれ違う度に「ものまね大会か?」と楽しませてくれた。新しい顔ぶれにどんどん入れ替えが始まる。うつ病になり会社を休んだりする人や、仲間内での喧嘩が増えた。たった2年で恥を知らない保身的な動物達の集まる職場環境となってしまった。


 そんな折、社長からランチしないかと誘われた。「え?次は俺か? まぁ、それならそれでいいか。」と開き直って社長が通うスポーツジムのレストランに行って待っていた。都内なのに緑が多く太陽の光を取り入れるこんなエグゼクティブジムがあるのか?と少し自分の世界とは違う場所にいる気がした。一汗かいた社長は、ハンバーガーを大口で食べながらコーラを飲み、気分良さそうに「最近元気にやってますか?君には期待している。」と切り出してきた。テレビドラマじゃないんだからと思いつつ、日本語を使う外人社長ではそんなところかと笑いながら「お陰様で、頑張ってます。」と返した。しばらくくだらない話をした後、「俺のグループに入らないか?」と突然質問してきた。意味は分らないようでよく分る。社長派か?否定派か?という質問なのだろう。人を差別し、見下し、侮辱し、嘲笑さえする人のグループに入りたいわけないでしょ。嫌だ。弱虫な彼は、首になることを覚悟するしかなかった。「そんな立派な方々のグループだと荷が重いです。」と泣きそうな目で懸命に口角を上げて見つめ返した。


 サルトルは言う。「疎外(自分では無くなること)の要因に”まなざし”を返すことが自分を取り戻すことだ。それが自由への選択である。」と。大切なのは、疎外を意識できることなのだろう。彼の年甲斐も無い目の潤みは理性的だった。


 数ヶ月後、大阪で前の会社の元同僚に会い転職祝いをしてもらった。「自己都合退職とはもったいない。うつ病でも何でもいいから、会社を休んで首になれば、会社からそれなりの退職金をもらえたのに。とにかく人生やられたら、やり返すべきだよ。」と言われた。おいおい、それも他有化(他人に支配されていること)という疎外なんじゃないか?


2025年7月30日

田村滋朗

 
 
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