top of page
検索

ニヒリズム

  • FreeMe labs.
  • 7月6日
  • 読了時間: 4分
積極的な仮象
積極的な仮象

 「ニヒルだね」と言われると、どこかうれしい褒め言葉で、”かっこいい”と同義と思ったりもした。昔は、気取って無口でお酒を飲んだりすると、こう言われることもあったんだろう。もう使われない言葉となった。ニヒリズムは生きる意味が無いと悟ることで自分を解放すると言われている。その人生の意義や価値を追求する使命から解放され、自由を手にした人となる。しかし本当に虚無感によって解放されるのであろうか?あなたの心の中に人生の虚無感はありますか?んー、きっとないよね、だって、やりたいことや欲しいものがたくさんあるから。そんな暗い人生考えたくないよね。人は時間を司ることはできないから決められた人生の期間にできるだけ多くの欲求を満たしたい。その方法をもっとあっさりと知りたいと思って毎日明るく生活しているのだ。虚無感とは縁遠い。


 もし神様が目の前にいて、何でも叶えてもらえるとしたら、あなたは何を求めますか?快楽的なところでは、お金、名声、家、高級車、パートナー。倫理的な答えなら、愛とか平和とか地球環境改善とかでしょうか。でもイソップ物語の「金の斧銀の斧」みたいにどんどん欲深くはなりませんか?つまり、神様がいてもいなくても、欲は次次と思い浮かび、神様が人生の中であなたのためだけに何度も登場しなければならなくなる。地球には80億人以上の人がいるので、単純計算でひとり1秒間面会できても、約270年に1回しかあなたに順番が回ってこない。仮に生きている間に会える機会を得ても、1秒間で言えることは限られているし、もう100歳で求めるものが何かすらわからなくなっているかもしれない。困った。できるだけ沢山の欲望を叶えるために、それらを得る人生の近道なんてあるのだろうか?逆にそんな悲しい欲望から自由になる方法はないのだろうか?


 ビールを飲み干すと彼女は真っ直ぐな目で、「ひとまず金さえあれば、欲しいものを欲しい時に買える。」と反応し、子供の頃から、親は経済的に裕福ではなく、やりたいこともできなかったと飲み干したグラスに目を落とした。「あなたは恵まれているのよ。」と小声で微笑んだ。反論したかったが、ただビールを注いでいた。自分もお金に困って借金しながら大学を出たが、彼女の強く優しい目にしばらく返す言葉はなかった。「人は虚無感に苛まれ仮象して(見せかけの価値を求めて)生きている。」と格好つけて言いたかっただらしないアゴにカウンターパンチを食らい、リングに膝から落ちた。ダウンのカウントが始まった。何を言えるのか?考えもなく立ち上がればまたダウンを取られる。どうしたこれで負けるのか?

なんとか立ち上がって言う。「君の幸福は、本当にお金で買えるものなのか?」


 思想家、西部邁氏は「虚無の構造」という著書のなかで「人間の頭のもう一つの半分において、おおよそつねにニヒリズムに冒おかされていると知っておくことが大切であろう。」と言う。つまり人は自身がニヒリズム(虚無感)に陥っていることにきづかず、無価値な世界の中で、無意識に価値あるものを仮定しそれに向かって自身を奮い立たせている。なぜ無価値かって?それは人生に意味などないことを人はもともと知っているからだ。

虚無感から脱出するために、新しい価値を求め努力し、残念なことにまたその価値すら無意味なことを再び知る。モノクロで何もないところから、何かの色付けを自身で選択できる状態を自由と呼ぶなら、そしてもし目指す価値が仮象(見せかけのもの)と知らないのであれば、それは何色を使っても満足できない「自由という刑」に処されていると言えるのかもしれない。しかしそれらが仮象であり、または偽りであり、または無価値であると分かり笑えるのであれば、求める色も必然的なものに変わり、本当の自由を手にしていると言えるのではなかろうか?我々は、人生には意味が無いことを知り覚悟することで自分自身を解放することができる。しかし、やはり、解放感だけでは終われない。生きる意味がないことを知ると不安かもしれないが、積極的に仮象を生み出し、人生の意味を真剣に創造しようとすることが大切だ。哲学者フリードリヒ・ニーチェの”能動的ニヒリズム”ってそんな感じだったような。

自分の人生の色を、頭の残りの半分において求め、生を感じなければと、彼の命日に思うのである。人間の頭にはもうひとつの半分があるって、もっと若い時に知りたかった。もしそうだったら、いつも虚しさを取り除こうと悩み、暗くなり、ニヒルに見えることなどなかったであろう。


2025年1月25日

田村滋朗


 
 
bottom of page